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<title>信勇会：評論家、松野恭信のコラム</title>
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<description>社会問題、通信メディアの評論家、松野恭信が現代の様々な社会問題についてコメントしてまいります。</description>
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<title>今だからこそ、脱「効率化」のすすめ</title>
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<description>バブル経済崩壊後、すなわち日本企業が低迷し始めてから、多くの企業で導入されたのが...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;バブル経済崩壊後、すなわち日本企業が低迷し始めてから、多くの企業で導入されたのが「成果主義」である。個人ベースの実力評価主義だ。しかし５～７年くらい前から、成果主義の弊害が顕著に報告されるようになった。そのため個人ベースの成果主義を撤廃し、本来の組織一体型の評価制度へと元に戻す日本企業が多くなった。&lt;br /&gt;実は、日本企業が成果主義へと舵を切った時代、成果主義が中心だった米国では、日本式の組織一体型評価制度が志向され始めていた。なんとも皮肉なことではないか。結局、振り回され、嫌な思いをしたのは日本企業だけだったということだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;一方、ＩＴ技術を駆使してシステム構築やＥＲＰを導入する日本企業は、成果主義導入とほぼ同時期くらいから多くなっていった。そして、いまだにシステム構築やＥＲＰを導入する日本企業は後を絶たない。そのように現在、多くの日本企業はシステム・ソフトウェア・ハードウェアなどのＩＴ技術に過度に依存している。&lt;br /&gt;ところが最近になって、ＩＴに過度に依存する弊害に気がつき、脱ＩＴを唱える日本企業が現れ始めた。ＩＴに過度に依存することで、「物事を根本から考える」ことが無くなってしまったからだという。そして、脱ＩＴによって生産性をアップさせた日本企業が徐々に増えている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;過度な成果主義やＩＴ化により、日本企業の生産性は一時、向上するかもしれない。しかし、それは長続きせず、長い目で見れば逆に、社員の考える力を減衰させてしまう。&lt;br /&gt;どうして、そのようなことになってしまうのだろうか？&lt;br /&gt;直接的な答えになってはいないが、私なりに以下のとおり考えてみた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;人には他者とコミュニケーションするための能力が与えられている。コミュニケーションするための言葉がある。しかし最近では、対面によるコミュニケーションの機会が、やたらと少なくなった。その大きな要因として、インターネットや携帯・スマホの爆発的な普及が挙げられる。&lt;br /&gt;それらによって、私たちは手軽にコミュニケーションできるようになった。しかも、それらは直接的なコミュニケーションを必要としない。コミュニケーション先の相手の都合を考えなくても良い。自分の都合で手軽にコミュニケーションできるようになった。そして、言い難いことを嫌な思いもせず、相手に伝えることもできる。&lt;br /&gt;そのように、「人と人との交流の仕方」が徐々に様変わりしている。「人と人との繋がり」が変わりつつある。人と人との接点のエリアは広がり、接点の数も増大した。しかし、その接点の質は表層的、かつ短絡的になってしまったような気がしてならない。接点の数とボリュームは増えたが、その分、接点の質が落ちたということであろうか。いや、量は増えたが、それ以上に質が落ちたという方が正しいのかもしれない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;一見するとＩＴ・通信技術が発展し、便利な世の中になった気がする。しかし現実を見れば、それは「人と人との繋がり」が衰退するのを後押ししている。人間の本質である「人との絆」が衰退するのを後押ししているかのようである。お互いに繋がり合う潜在意識があるといわれているものの、おそらく、人と人の対面でしか交流できない何かがあるからであろう。&lt;br /&gt;そのようにして人とのコミュニケーションの質は落ち、人との間で行き違いが多くなる。必然的に人とのトラブルは頻発する。便利と感じるのは、短期的視点を持つからである。物質的視点を持つからである。表層的視点から物事を見るから便利と感じるのである。&lt;br /&gt;「本質的視点」を維持するのは難しい。刺激的な誘惑が技術進歩と共に多くなってくるからである。「長期的視点」や「精神的視点」から物事を見ると、今まで見えなかったものが見えるようになる。&lt;br /&gt;ただし、ここで言いたいことはＩＴ・通信技術が悪いということではない。あくまでも技術は手段であって、それに過多に依存し、利用する人間自身が悪いのである。人間の「心の持ちよう」がおかしいからである。手段、すなわちＩＴ・通信技術に責任は無い。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;人とのコミュニケーションが適切であれば、怒り・恨み・妬み・嫉みなどは起こりえない。それでは､何故、適切なコミュニケーションが取れないのだろうか？&lt;br /&gt;私たちの考え方が物質的・表層的・短期的になったからである。短絡的になったからだ。&lt;br /&gt;「その場、その時の考え方」に支配される。「一貫性」など無くなった。物事を空間的にも、時間的にもバラバラのまま見る癖がついた。「全体像を通して見る力」を失った。&lt;br /&gt;それにより、自分自身を客観的に見ることができなくなった。そして気がつけば、人の立場に立って物事を考えることすらできなくなった。&lt;br /&gt;私たちが適切なコミュニケーションを取れないのは、考え方が短絡的になり「自己理解」と「他者理解」を失ったからである。自己理解と他者理解は人間社会では大変、重要なものである。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;心理学者のユングが次のように語った。「人間の潜在意識はお互いに結合している」と。いまだ解明されてはいないが、それを信じる者は少なくない。&lt;br /&gt;人間とは不思議なもので「直感的に真実を見抜く」のである。それは本来、人間として備わっているべき能力である。&lt;br /&gt;しかし日本社会は、今まで物質的なものや刺激的なものを志向してきた。そのようなものを価値あるものとみなしてきた。米国式の生活スタイルとビジネススタイルが世の中に蔓延した。大家族制度が崩壊した。地域コミュニティが崩壊した。家族そのものも崩壊しようとしている。そして、日本国民は「孤立化」あるいは「孤独化」に向かっている。&lt;br /&gt;そのように私たちは、本来人間として備わっているべき精神性を阻害するような生き方に傾斜してきた。そのため、本来備わっているべき「直感力」は鈍っていく。そして、「真理と本質を見抜く能力」は、いつしか無くなってしまった。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>信勇会</dc:subject>

<dc:creator>信勇会</dc:creator>
<dc:date>2012-05-20T16:04:21+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://shinyu-kai.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/post-27cc.html">
<title>「民間と大きくかけ離れたＮＨＫ体質」</title>
<link>http://shinyu-kai.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/post-27cc.html</link>
<description>殿様商売は、なにも東京電力だけではない。ＮＨＫも同様である。 ＮＨＫの平成２４年...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;殿様商売は、なにも東京電力だけではない。ＮＨＫも同様である。&lt;br /&gt;ＮＨＫの平成２４年度予算が、２０１２年３月２１日（水）衆議院総務委員会で審議された。&lt;br /&gt;ＮＨＫは既に、２００８年に策定された次期経営計画の中で「２０１２年度から受信料収入１０％の還元」を約束していた。当時、還元とは値下げのことだと明言した。&lt;br /&gt;にもかかわらず、衆議院総務委員会のＮＨＫ平成２４年度予算審議の質疑では、本年１０月からの受信料値下げ率は約束の１０％ではなく、７％にとどまるとＮＨＫは答弁した。差額の３％分の値下げができない理由として、受信料免除者が増えたことと、東日本大震災を受け放送設備の機能強化を挙げている。&lt;br /&gt;さらに当初、ＮＨＫ執行部は６％の値下げで済ませようとＮＨＫ経営委員会に提出したが、これを拒否され渋々７％にした経緯がある。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;衆議院総務委員会におけるＮＨＫに対する質疑の中で、次のことが判明した。&lt;br /&gt;ＮＨＫ職員の給与が、なんと一人あたり平均１，１８５万円であると。&lt;br /&gt;これは民間レベルと比較すればかなりの高水準である。さらに一人あたり、一般の雇用者報酬が４４０万円であるのに対して、ＮＨＫの人件費は１，７８０万円と４倍以上で、民間と比べて給与水準が相当高いことが見て取れる。３０年間の人件費の傾向を見ても、民間が横ばいであるにもかかわらずＮＨＫは上昇している。&lt;br /&gt;さらに、ＮＨＫでは社会保険料の事業主負担割合が６１．７％と他より高く、社員が優遇されている（ただし、これについては他と同様５０％にすることが既に労使交渉で決定されている）。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;にもかかわらず、ＮＨＫは今年１０月から、約束どおりの受信料値下げができないという。資金がないからできないといっているものの、民間と大きくかけ離れた膨大な人件費はそのままにして、いろいろと理由を付けて国民に約束したとおりの還元はしない。&lt;br /&gt;ところがＮＨＫでは、受信契約数の増加や滞納者に対する支払い督促の強化によって、２０１０年度の受信料収入が過去最高の６，５９８億円にも上っている。&lt;br /&gt;一方、国家公務員については人事院勧告含め７．８％の給与引き下げ（復興財源として２年間実施）が国会で決定されたばかりで、独立行政法人などにも適用される見通しだ。&lt;br /&gt;そのような状況下で、ＮＨＫだけが常識外れの馬鹿高い人件費を維持し続けて良いわけがない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;衆議院総務委員会でＮＨＫ松本会長は、人件費削減の努力はするものの、競合の視点から人材確保や社員のモチベーション維持のため一定の人件費は維持したい旨の発言をしている。それは、今後も、高い水準の大卒者（大卒以上の学生）を確保したいという発言にも表れている。&lt;br /&gt;民間放送事業者との競争という趣旨で競合という言葉を使ったと思うが、民間放送は広告収入で運営されているため収入のアップダウンがある。それに対して、ＮＨＫは受信料という非常に安定した収入であることから、民間放送と比較できない側面は大きい。にもかかわらず、最近のＮＨＫ放送では、民間放送との競争を意識した視聴率重視の姿勢が見て取れる。衆議院総務委員会でも、最近のＮＨＫ放送の質の低下（バラエティ番組重視の姿勢）に対して多くの苦言が呈された。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;衆議院総務委員会において、東日本大震災の報道をとおして、世論調査でＮＨＫの評価が高くなっているとのコメントが出されたが、それに疑問を抱く国民は少なくない。&lt;br /&gt;その象徴が、福島第一原発事故に関する一連のＮＨＫ報道である。&lt;br /&gt;当初、ＮＨＫは一貫して、政府と同調した報道に終始していた。ＮＨＫは、政府や東電や原子力安全保安院と同じことを繰り返すばかり。&lt;br /&gt;「まだ安全」「人体への直接的な影響はありません」「詳細は分析中」「しかし予断を許さない状況」「冷静な判断を」&lt;br /&gt;それらのコメントをよく考えると、事態が良くなっても悪くなっても外れないような文言だけである。&lt;br /&gt;その一方で、民間放送事業者のＴＢＳは次のような場面を報道していた。&lt;br /&gt;２０１１年３月３１日、ＩＡＥＡ（国際原子力機関）は福島県飯館村の土壌からＩＡＥＡ基準のおよそ２倍にあたる１平方メートルあたり２メガベクレルの放射線を観測したと発表し、日本政府に注視するよう求めた。その放射線が観測されたのは福島第一原発から約４０ｋｍの地点で、当時、政府は避難する必要はないと判断していた場所であった。ＩＡＥＡからそのような発表があった後、ＴＢＳは飯館村村民のコメントを次のように、正直に報道した。&lt;br /&gt;「なぜ、これを国がいわないで、ＩＡＥＡなんだ。本当に悔しい」と。&lt;br /&gt;また同日、日本テレビの解説委員がニュースで次のようなコメントを発した。&lt;br /&gt;「ここに至っては、私たち国民には覚悟が必要です」と。本来ならば、このようなコメントは政府やＮＨＫが民放に先んじて出すべきものと思う。（&lt;a href=&quot;http://shinyu-kai.net/katsudo34&quot;&gt;詳しくはここ&lt;/a&gt;）&lt;br /&gt;日本国民は馬鹿でない。政府やＮＨＫが言っている以上に事態が深刻なことには気づいていた。&lt;br /&gt;風評被害や差別の根源は一人ひとりの個人の資質によるところが大きい。しかし、それを増長させているのが政府の姿勢と、政府に同調するだけのＮＨＫの報道のあり方である。たとえ国民が聞きたくない情報でも見たくない情報でも、大枠では事実をきちんと報道する義務がある。（&lt;a href=&quot;http://shinyu-kai.net/katsudo37&quot;&gt;詳しくはここ&lt;/a&gt;）&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>時事問題</dc:subject>

<dc:creator>信勇会</dc:creator>
<dc:date>2012-03-22T21:09:42+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://shinyu-kai.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/post-5242.html">
<title>「経済成長の次の段階へと進まなくてはいけない日本」</title>
<link>http://shinyu-kai.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/post-5242.html</link>
<description>日本の借金について、自治体分も加えた「国と地方の長期債務残高」は2009年度末時...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;日本の借金について、自治体分も加えた「国と地方の長期債務残高」は2009年度末時点で816兆円にものぼりGDPの170％程度に該当することが報じられ、諸外国に比べて財政事情は非常に厳しいと非難された。最近では、その借金が遂に1,000兆円を突破する見通しだと報じられている。&lt;br /&gt;その一方で、私たち国民の持つ総資産はいくらだろうか？&lt;br /&gt;個人の金融資産額が約1,400兆円（日本銀行2001年末「資金循環勘定」個人金融資産1,421兆円より）という数字は報道でよく耳にするが、それに不動産などの実物資産を加えれば国民個人の持つ総資産額は約2,700兆円になる。国民個人の負債総額が約400兆円あるので、差し引きすれば国民個人の総資産は約2,300兆円の黒字ということだ。平均して国民一人当たり約1,800万円の資産を持つことになる。世帯で考えれば、その数字に家族人数分をかけた額になる。ここでいう国民個人の資産や負債とは、家計部門に限った数字なので留意されたい。&lt;br /&gt;そして日本全体の総資産については、家計部門の資産額に政府や地方自治体や法人企業の資産額を加えれば約8,500兆円となる。すなわち日本全体の総資産を表す「国民総資産」は約8,500兆円。国の借金や国民個人の負債を含めた日本全体の負債が約5,500兆円あるので、差し引きすれば約3,000兆円の黒字額が日本の「国富」であり、これが日本の正味資産額となる。&lt;br /&gt;にもかかわらず、個人の金融資産額1,400兆円のみを協調して、国の借金（国債など発行総額）が個人の金融資産額1,400兆円を超えれば国の経済的信用がなくなり国債を買ってもらえなくなる恐れがあるといわれている。そして、国の借金が1,000兆円を超えようとしている現時点において、国の借金が個人の金融資産額を超える逆転現象はすぐにもやってくると煽る。それに加えてEU経済危機や円高そして大震災や原発事故の影響などの不安要素を持ち出し、財政再建や財政規律の名の下に消費税増税を推し進めようとする。約3,000兆円の「国富」の存在を考えれば、財務省とその尻馬に乗る野田政権の増税路線には、もはや迫力は感じない。もっとも古今東西、増税すなわち財政再建を優先して景気を浮揚させた事例はない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;実は日本では、産業全体に占める輸出の割合は、世界で見てもそれほど高いものではない。20％にも満たない。隣国の韓国よりも低く、その意味で日本は内需産業国といえる。一方、輸出産業を見れば輸出先のお得意さんとして米国が挙げられる。たとえば自動車産業を例にとれば、米国でかけられる関税率は2.5％と低い。それは、農産物などが日本に入る時にかけられる日本の関税率と比較すればかなり低い数字である。&lt;br /&gt;以上のことからすれば、現在、国会で議論されているTTP（環太平洋戦略的経済連携協定）への参加は日本全体にとって不利になることが想定される。自動車業界など輸出に依存する業界がTTPに賛成するのは理解できるが、政府が率先してTTPを推進するのは何故だろうか？&lt;br /&gt;それは米国への依存度の高さゆえである。日米安全保障条約に代表されるとおり、あくまでも日本は米国と一体というのが霞ヶ関による建前だが、実態はといえば、日本は米国の属国状態である。その証拠として、従来の「日米構造協議」や現在の「年次改革要望書」の存在が挙げられる。「年次改革要望書」は米国政府から日本政府への要望書の形をとっているが、その実態は内政干渉以上の強い拘束力を持つものといわれており、米国から日本に対する指示が書かれているという。日本政府は「年次改革要望書」に従って政策を作り政治を行っている。「郵政民営化」もその一つで、日本の資金が多数のチャネルを通して米国に流出している。（&lt;a href=&quot;http://shinyu-kai.net/1-4-1&quot;&gt;詳しくはここから&lt;/a&gt;）&lt;br /&gt;そして、今まさにTTPにより日本の多額の資金が米国へと、さらに流出しようとしている。米国の一番のねらいは、農産物の日本への輸出などではなく、日本の多額の金融資産の取り込みである。今まで以上に深く日本に入り込み、家計部門までの金融資産を狙うこと。それが米国のしたたかな戦略であるが、日本の豊富な資産を狙っているのは何も米国だけではない。中国だって日本の企業や不動産を狙っている。&lt;br /&gt;民主党政権というより、財務省・外務省・経済産業省など主要な官庁は、米国協調路線を堅持することが日本の国益になると信じて疑わない。それは長年にわたる日米間の協調政治による賜物である。そのため、既存政党の誰が政権をとろうとも、米国協調路線が変わることはありえない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;原発や核燃料再処理工場を誘致した地方自治体に入る資金について、国からは電源三法交付金が、電力会社からは核燃料税と寄付金がそれぞれ当該市町村に支払われる。多額の資金であるが、施設の固定資産税の歳入を含め、誘致した自治体の歳入に占めるそれらの割合は自治体ごとに異なり、おおむね約4割～7割である。原子力関連施設に大きく依存している状況が見て取れる。さらに、住民の大半は原子力関連施設で働き、雇用が守られ、住民や施設からの所得税や住民税や事業税などをも考慮すれば、ほとんど原子力村といっても差し支えない。&lt;br /&gt;しかし、それらの市町村はなにも好き好んで原発などを誘致したわけではない。誘致した市町村のある年配議員は以前、次のように話していた。「命が大事なことはよく分かっている。しかし、それでも命より金だ」と。&lt;br /&gt;昔から、港湾に適した平野には海上運送を求め、人が物資と共に集まり栄える。それが都市となり、さらに人・物・金が益々集中し、東京・横浜・名古屋・大阪・神戸などの大都市が生まれた。一方、気候が厳しい山間地域では農林業を営んでも年毎の気象条件や自然災害により安定的に収穫できない。そのため人は安定した雇用を求め、山間地域から離れ都市に向かう。あるいは、きらびやかな大都市に憧れ田舎を後にする。&lt;br /&gt;そのように、自分たちの地域が過疎化していく姿を何十年と見ていれば、どうにかしなければと誰もが思う。さらに、1950年代半ばから1970年代初頭までの高度経済成長にも乗り遅れた市町村の一部がとった最後の手段が原子力関連施設の誘致であった。&lt;br /&gt;いまや、福島第一原発事故により脱原発の機運が全国的に広がっている。原子力関連施設を誘致した市町村は、歳入のほとんどを原子力に依存しているため、今後の市町村の運営について大きな不安を感じている。また、福島第一原発から半径20km以内の警戒区域に入る町のうち、町民の雇用と町の収入を守るため、放射能で汚染された土壌を保管する中間貯蔵施設を受け入れると腹をくくる町長がいてもおかしくはない。哀しいかな、人や町が生きていくための現実である。いくら理想論を振りかざしても食べてはいけない。原発推進でも、脱原発でも、どっちに転んでも原子力に依存し続けなくてはいけない過疎地の現実を思い知らされる。&lt;br /&gt;以上のように、原発問題を考えても、その根本にあるのは地域間の経済格差である。経済格差による雇用と収入の問題だ。それを助長したのが貨幣経済による経済成長ありきの社会構造である。そのような経済社会を維持し続けようとすれば、あらゆるところで原発問題のような歪が生じてくる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;正社員が減り続け、アルバイトやパートなどの短期契約社員やまともに働くことのできない日本人が増え続けている。同時に、しっかり考えることのできない日本人もあらゆる分野で増え続け、日本の国力は間違いなく低下している。企業や公共団体などで、うっかりミスや不祥事や事件が多発しているのもそのためである。そんな状況下で税収が下がるのは当たり前で、歳出（支出）レベルを維持したままで、歳入（収入）を賄おうとすれば年を追うごとに借金（国債）額が増え続けるのは当たり前で、子供でも分かることだ。税収に見合った歳出構造へと変えていくしかない。すなわち日本社会を抜本的に変革するしかない。いまから、その国家ビジョンを作ることが急務である。地球環境や世界状況が変化し続けているにもかかわらず、日本だけが変わらずに、たとえば公務員の身分保障が担保され続け、議員の報酬額が高いままで良いわけがない。&lt;br /&gt;今後、経済成長は望むべくもない。というよりも、未来永劫、いつまでも経済成長が続くはずもない。もはや経済成長の段階は終わり、これからは地域に根ざした共生社会を目指す段階へと移行していく。貨幣経済中心の社会の限界を悟り、今後、徐々に信頼や相互扶助などの精神的向上を目指す共生社会へと移行しなくてはいけない。それは、自然の摂理が東日本大震災や福島第一原発事故をとおして私たち日本人に教えてくれたことに他ならない。市場原理主義の下、協調より競争を優先し、行き過ぎた競争を是とする、いびつな経済社会からはそろそろ脱却しなくてはいけない。協調と競争を両立した共生社会への移行である。（&lt;a href=&quot;http://shinyu-kai.net/1-4-4&quot;&gt;詳しくはここから&lt;/a&gt;）&lt;br /&gt;そのためには、日米関係についても新たな段階へと進化させる必要がある。現在のままの日米関係では、市場原理主義から脱却することは難しい。いつまでも日本に経済成長や資金を求め続ける日米関係からは脱却することである。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>日本復活の鍵</dc:subject>

<dc:creator>信勇会</dc:creator>
<dc:date>2012-03-14T19:32:45+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://shinyu-kai.cocolog-nifty.com/blog/2012/01/post-c6a6.html">
<title>「考える力を失った日本人」</title>
<link>http://shinyu-kai.cocolog-nifty.com/blog/2012/01/post-c6a6.html</link>
<description>民主主義とは、国民が政治や行政や司法の主役であるということ。そのため国民は三権の...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;民主主義とは、国民が政治や行政や司法の主役であるということ。そのため国民は三権の府に対して、国民自身が選挙で選んだ代表者（議員）を送り、その代表者がさらに選挙で府長を決める。そのような直接選挙と間接選挙によって民主主義が実行される。&lt;br /&gt;ここで問題になるのは、私たち国民がどういう尺度で代表者を選んでいるのかという点である。本来ならば、代表者たる人間的資質や、経験と見識や、所属政党とそこにおける立場などを勘案して選ぶのが当たり前なのだが、日本では民主主義政治を取り入れる先進国と比較して、それがほとんど行われていない。&lt;br /&gt;現在では多くの日本人は、メディア特にテレビの影響を大きく受けているため、その偏った報道に流される形で投票する場合が多い。それ以上に、テレビや雑誌によく出てくる有名人であれば当選する場合も多い。そのため、売れなくなった（稼げなくなった）タレントや歌手やスポーツ選手の行き着く先が議員（政治家）ということにもなりやすい。その傾向は、当然、他の先進国でも見られるが、特に日本では顕著である。&lt;br /&gt;日本国民の大多数がそのようないい加減な気持ちで選んでいるのだから、政治が機能しなくなるのは当然のことである。自分たちのことを棚に上げ、政治家だけが悪いように言うのは、天に向かって唾を吐くのと同じことだ。素人政治家を多数、国会に送っている張本人は日本国民自身なのだから。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;以下の文章は、２０１０年９月（執筆は同年１月）に出版した「日本復活の鍵」の第３章の中で書いた文章&lt;a href=&quot;http://shinyu-kai.net/3-2-3&quot;&gt;（詳しくはここ）&lt;/a&gt;だが、現在の民主党のありようを見れば、当然という気がする。&lt;br /&gt;「もし仮に二大政党制を善しとしても、自民党と民主党では二大政党制とは言えないであろう。何故ならば、両党共に基本的には保守政党であるからだ。民主党の議員の中には、以前は自民党で働いていた者は多数いる。さらに、民主党には自民党出身者から日本社会党出身者までおり、日本社会党出身者の中には左派であった者さえいるのである。それでは寄せ集めの政党と言われても致し方ない。そのように現在の民主党は脆弱な基盤を持つ政党であると言わざるを得ない。数合わせによる政権奪取を第一としたためこのようになってしまったのだろうが、今後は期待を込めて党運営を見守っていきたい。」&lt;br /&gt;民主党には、先の衆議院議員総選挙でメディアが煽って当選させた素人政治家が多数いる。また、元人権派弁護士や元市民運動活動家や元労働組合員も多数いるし、頭でっかちで修羅場に弱い政治塾出身者もいる。確かに、その世界では優れていたのかもしれないが、政治家としての資質に疑問を抱かせる者があまりに多過ぎる。今の民主党政権を見ていると、小学校の学芸会を連想してしまう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;東日本大震災以降、「暴動も起さず逆境に耐える日本人はすばらしい」「日本人は礼儀正しく真面目」「まだまだ日本も捨てたものじゃない」などの賛辞が、特にメディアをとおして伝わってくる。しかし、本当にそうなのだろうか？&lt;br /&gt;私が「信勇会」という勉強会を約２年前に立ち上げたのは、大げさだと思うかもしれないが、日本社会に対する危機感からである。「考えない人」が年々、自分自身の周囲に増え続けている。企業など所属組織の中でも、電車内や駅構内や道端などですれ違う見知らぬ人でも、あまりに物事や事象を考えず、独善的態度や暴力的態度をとる人が増え続けている。ここ１０年、特に５年くらい前からそのような雰囲気を強く感じ始めたが、東日本大震災以降さらに顕著になった気がする。私自身、何度も嫌な思いをしたし、被害にあったこともある。&lt;br /&gt;そして、まともに働くことのできない者が年々、増加している。政府発表の労働力調査による完全失業率は、日本社会の実態を反映なんかしていない&lt;a href=&quot;http://shinyu-kai.net/3-3-2&quot;&gt;（その根拠はここ）。&lt;/a&gt;毎日、１００人程度が自殺し続けている。駅での飛び込み自殺により電車がストップするのは日常茶飯事、今ではほとんどの鉄道路線で見かけるようになった。不可思議な事件が多発している。そして、いまや本当に怖いのは、暴力団員などではなく一般人だという。何も考えない一般人による残虐な殺人事件が増え続けている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;考える力が弱いため、言われたことしかやらない。自分独自のオリジナリティを出そうともしない。しかし、ここ１０年、言われたことすらできない者が続出している。さらに、最近では、言われたことをやろうともしない者も顕著になってきた。注意されても、しらを切りとおせばなんとでもなると思っているらしい。&lt;br /&gt;そのような人材が日本のあらゆる場所で増え続けている。日本企業の実力が、韓国や台湾や中国に追い抜かれようとしている。日本の昨年の貿易収支が３１年ぶりに赤字に転落したと報道があったが、そんなことは既に想像できたことである。大震災や原発事故の影響もあったが、日本人の質の低下を考えれば遅かれ早かれといったところだ。&lt;br /&gt;日本のあらゆる分野で、職業意識、すなわちプロ意識が希薄になっている。プロ野球の元日本ハムのダルビッシュ投手は、日本のプロ野球にはプロ意識が欠如しているため、自身のモチベーションを維持するにはメジャーリーグに行くしかないと言っていた。米国メジャーリーグに好きで行くわけではないという。&lt;br /&gt;そのように、あらゆる分野で、優れた人材が高みを求めて日本を出て行く。また、企業も日本の今の環境に耐え切れずに日本を出て行く。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;考える力がない。想像する力もない。だから、事前に想定しておいた事象にしか対応できない。マニュアルどおりにしかできない。全体像をとおして仕事することができない。最後まで粘り強くやり抜くことができない。途中で諦める。そんな多くの日本人を一つの方向へとメディア（テレビ）を使って操作するのは容易い。民主主義の盲点といってしまえばそうだが、その意味で、今の日本に民主主義は早すぎる。もっと日本人が、個人としての精神的成熟度を高めない限り、日本では民主主義が機能しない。&lt;br /&gt;政治は社会の鏡である。まともな政治家が少ないのは、日本社会が病んでいるからであり、私たち国民が正常ではないからである。大半の政治家は、国のことより再選のことばかり気にする。選挙で当選することを至上命題とし、政党も数の論理を至上命題にする。それが、日本国民が何も考えないことを巧みに利用して、メディアと共に大衆迎合型政治や劇場型政治へと誘う。そして、そんな状況下で当選した政治家がまともに仕事できるわけもなく、自分たちの責任であるにもかかわらず、多くの日本人は政治家を非難する。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;日本は島国で国境という概念が希薄である。日本には正式な軍隊がなく、世界最強の米軍の庇護の下にいる。憲法で戦争放棄が謳われている。日本には徴兵制がない。それらのことから、日本人は平和ボケし、国体を意識することがほとんどない。普通の国であれば国体を中心に国民がつながりあう求心力のある状態なのだが、いつしか日本は求心力のない国へと変化してしまった。それでは、経済が回っていた時には良かったかもしれないが、一旦、経済が低迷し始めた段階ではあらゆるところで、ほころびが出る。&lt;br /&gt;今の日本に本当に必要なことは、「考える力」を取り戻すことであり、そのための教育である。家庭教育と学校教育の両輪を機能させることが全てに優先する。単に、進学校や大企業や官庁に進ませるための受験テクニックなどではなく、もっと根本的な思想や道徳や考える力のことである。そうしないと本当に、日本は崩壊しかねない。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>時事問題</dc:subject>

<dc:creator>信勇会</dc:creator>
<dc:date>2012-01-27T18:55:50+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://shinyu-kai.cocolog-nifty.com/blog/2011/12/post-214b.html">
<title>「政府公式発表の効用とは」</title>
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<description>東京新聞（TOKYO Web）2011年12月17日朝刊の社会面に次のような記事...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;東京新聞（TOKYO Web）2011年12月17日朝刊の社会面に次のような記事が掲載されていた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;---------------------------------------------------&lt;br /&gt;◆作業員「政府ウソばかり」◆&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「冷温停止状態」を通り越し「事故収束」にまで踏み込んだ首相発言に、福島第一原発の現場で働く作業員たちからは、「言っている意味が理解できない」「ろくに建屋にも入れず、どう核燃料を取り出すかも分からないのに」などと、あきれと憤りの入り交じった声が上がった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;作業を終え、首相会見をテレビで見た男性作業員は「俺は日本語の意味がわからなくなったのか。言っていることがわからない。毎日見ている原発の状態からみてあり得ない。これから何十年もかかるのに、何を焦って年内にこだわったのか」とあきれ返った。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;汚染水の浄化システムを担当してきた作業員は「本当かよ、と思った。収束のわけがない。今は大量の汚染水を生みだしながら、核燃料を冷やしているから温度が保たれているだけ。安定状態とは程遠い」と話した。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ベテラン作業員も「どう理解していいのか分からない。収束作業はこれから。今も被ばくと闘いながら作業をしている」。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;原子炉が冷えたとはいえ、そのシステムは応急処置的なもの。このベテランは「また地震が起きたり、冷やせなくなったら終わり。核燃料が取り出せる状況でもない。大量のゴミはどうするのか。状況を軽く見ているとしか思えない」と憤った。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;別の作業員も「政府はウソばっかりだ。誰が核燃料を取り出しに行くのか。被害は甚大なのに、たいしたことないように言って。本当の状況をなぜ言わないのか」と話した。&lt;br /&gt;---------------------------------------------------&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;この記事には、ほとんどの日本人が思い感じていることが正直に書かれている。&lt;br /&gt;同時に、多くの海外メディアも今回の首相発言については厳しい批判を発している。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;政府公式発表とは建前の世界におけるステートメントなので、時と場合によっては、多少の嘘を言わなくてはいけないことがある。&lt;br /&gt;嘘でもいいから公式発表することで、諸外国との経済活動や国内経済を元に戻したり、不具合を沈静化させたりするきっかけになりうるからだ。&lt;br /&gt;その意味では、「冷温停止状態」や「事故収束」に言及した首相発言は、経済界からの強い要請によるものだと思う。&lt;br /&gt;つまり、福島第一原発事故収束の工程表ステップ２が予定通りに達成できたことを発信することで、これ以上の放射能汚染の拡大もなく、事故前と同様の安心・安全を内外に強く意識づけしたいという政府の意図を感じる。&lt;br /&gt;いまだに放射性物質は、大気・海洋・地中へと漏れ続けているにもかかわらずに、野田首相はそのように発信した。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;しかし、今回の政府公式発表は、いままでのものとは全く性質が違う。&lt;br /&gt;チェルノブイリ原発事故を越える放射性物質が放出されたかどうかは、データが無いため分からないが、事故が発生してからいまだに漏れ続けているのは極めて深刻である。&lt;br /&gt;そのような状況下で、あのような政府公式発表が出されたことは、短期的な国益にはつながるかもしれないが、中長期で考えればマイナスだと思う。&lt;br /&gt;なぜなら、私たち日本国民の心が徐々に政府から離れていってしまうからだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;あのような政府公式発表の延長線上には、危険であるにもかかわらず、住民を元の住処へと戻すことで国内の平静を装うことも大いに考えられる。&lt;br /&gt;歴史が極めて浅いため、放射線が人体に与える影響は、研究すればするほど謎は増えるばかり、あるいは深まるばかりだと多くの研究者はいう。&lt;br /&gt;また、水俣病・イタイイタイ病のような公害病に対して、国はその因果関係を長いこと認めようとしなかった。&lt;br /&gt;そのことから考えても、放射能汚染の場合、おそらく国は、よほどのことがない限り、癌との因果関係を認めることはないと想定される。&lt;br /&gt;だからこそ、この問題に関しては、いままでのこととは切り離して、慎重に対応するべきであったと強く思うし、大変残念に思う。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>時事問題</dc:subject>

<dc:creator>信勇会</dc:creator>
<dc:date>2011-12-26T18:13:57+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://shinyu-kai.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/post-ad2a.html">
<title>「不思議な数字」</title>
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<description>子供の頃、近所の銭湯に行くと決まって、番号札が「１」か「３」の下駄箱を狙ったもの...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;子供の頃、近所の銭湯に行くと決まって、番号札が「１」か「３」の下駄箱を狙ったものだ。当然、既に取られていたこともよくあった。&lt;br /&gt;「１」と「３」は当時、破竹の勢いに乗る川上監督率いる読売巨人軍の主力の王選手と長島選手の背番号だった。当時、プロ野球では長島と王、大相撲では横綱の大鵬がそれぞれ大人気を博していた。だから、何をするにも必ず「１」とか「３」という数字に目がいった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;数字には不吉とされる数がある。日本では「４」、西洋では「１３」だ。「４」については「死」という言葉を連想しやすいという単純な理由から広まっていった。&lt;br /&gt;しかし、この「４」と「１３」は強いパワーを持つ数字だといわれている。&lt;br /&gt;特に西洋で「１３」が不吉といわれているのは、実は「１３」の持つ強いパワーのせいである。つまり不吉な数字というデマを流すことにより、「１３」という数字を多くの人の目から遠ざけ、それを知る一部の人間だけが「１３」の持つ強いパワーの恩恵にあずかっているという。その意味では、「４」も同じロジックで不吉なイメージを与えられてしまったのかもしれない。&lt;br /&gt;以上のことはトランプを見ると分かりやすい。トランプは、スペード・ハート・クラブ・ダイヤの「４」種類のマークに分かれており、それぞれ番号は「１３」までである。そして、トランプを使う占いは多種・多彩に存在する。&lt;br /&gt;また「１２」という数字は、私たちが生きる自然界の周期を表す数である。干支、年間の月数、時間などである。したがって、人間のバイオリズムも１２年に同期すると主張する人も多数いる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ただし今回、紹介したい数字は以上の数ではない。「９」という不思議な数字のことだ。それは、どのように不思議なのだろうか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ここで「２７９６５」という５桁の数字を例にとる。それぞれの桁の数を全て足すと以下のとおりになる。&lt;br /&gt;　　　　　　　２＋７＋９＋６＋５＝２９&lt;br /&gt;「２９」という２桁の数字になったので、さらに、それぞれの桁の数を足す。&lt;br /&gt;　　　　　　　２＋９＝１１&lt;br /&gt;まだ「１１」という２桁の数字なので、またさらに、それぞれの桁の数を足す。&lt;br /&gt;　　　　　　　１＋１＝２&lt;br /&gt;そのように、それぞれの桁の数を足していき、１桁の数になるまで、そのプロセスを続けると「２７９６５」は「２」に収束する。&lt;br /&gt;したがって、どんな大きな数字であっても、以上のプロセスを繰り返せば、必ず「１」から「９」までの９つの数字のどれかに収束する。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そこで「９」の倍数について考えてみる。たとえば「４１０４」も「６１８５７」も「９」の倍数だが、同じプロセスを繰り返すと、両方とも「９」に収束する。前者は１回で、後者は２回で収束する。&lt;br /&gt;すなわち「９」の倍数は、上記のプロセスにより、どんなに大きい桁数の数字であっても必ず「９」に収束するという性質をもつ。それは「９」だけが持つ不思議な性質である。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;その「９」の性質を利用すれば、簡単なマジックも可能になる。&lt;br /&gt;初めに、上記のプロセスを相手に説明し、どんな数字でも必ず１桁の数字に収束することを理解させる。その際、「９」の持つ性質については一切触れてはいけない。&lt;br /&gt;そして、予め用意していた下記のような虫食い計算式を取り出し、相手に見せる。相手に見えないように、ある一桁の数字を予言するといって数字を書き、折りたたむ。当然、その数字は「９」だ。&lt;br /&gt;　　　　　　　○４□○×○７○&lt;br /&gt;それから相手に対して、上記の虫食い計算式の○（４箇所）の中に好きな数字を書くように促す。そして最後に、自分自身で□（１箇所）の中に数字を書き込むのだが、その際、頭の中ですばやく計算して「○４□○」が「９」に収束するような数字を選んで書き込む。&lt;br /&gt;「○４□○」が「９」に収束するということは、「９」の倍数になったということだ。したがって「９」の倍数にどんな数字をかけても「９」の倍数のままなので、上記の虫食い計算式の答えは「９」の倍数になる。&lt;br /&gt;ということで、電卓で計算し、計算式の答えに対して１桁に変換するプロセスを施すと最後に「９」という数字が現れ、予言は的中というわけだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;その際、馬鹿正直に淡々と進めるのではなく、予言を書いた紙の方に何かタネがありそうだと相手に思わすことがマジックのポイントになる。他にもいろいろとバリエーションがあるので、是非応用して欲しい。&lt;br /&gt;ただし以上のやり方によるマジックは、同じ相手には１回しか通用しない。当然お分かりかと思うが、予言の答えは必ず「９」でしかありえないからである。それではマジックとはいえないのだろうが・・・。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>雑学・うんちく</dc:subject>

<dc:creator>信勇会</dc:creator>
<dc:date>2011-10-27T18:31:42+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://shinyu-kai.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/post-f9f1.html">
<title>「生きることの意味」</title>
<link>http://shinyu-kai.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/post-f9f1.html</link>
<description>別に、生きることの意味を考えなくても普通に生きてはいける。しかし時折、「宇宙の果...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;別に、生きることの意味を考えなくても普通に生きてはいける。しかし時折、「宇宙の果てはどうなっているのだろうか？」あるいは「死んだらどうなるのだろう？」などと同様に、生きる意味を考えてしまう時がある。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;先日、失敗と成功の分岐点について議論したことがあった。議論の過程で、自分自身の哲学やポリシーというキーワードが出された。それを「持つ」か「持たない」かで、「成功する」か「しない」かが決まるのではという。たとえば目先の損得勘定に目を奪われ、小さな成功であったにもかかわらず失敗したと嘆き、途中であきらめる。それは哲学や信念といった一貫したポリシーがないから、そう感じてしまう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;同様に、生きることの意味を「考える」のと「考えない」のとでは、人生で得られる果実も違ってくるのではないだろうか？&lt;br /&gt;もし考えていれば、目先の小さな利益をあえて捨てることができ、代わりに将来に向けた大きな利益を得られるのかもしれない。あるいは、普段から人のために嫌なことも苦労も引き受け、将来に向けて大きな財産を築くことができるかもしれない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;生きることとは何だろうか。生きていくには人との出会いや交流や別れは付き物だ。「自我」とは社会的存在であり、自己は他者との関係性において意味付けられる。そして、この世の出来事は全て他者との関係性から波及する。他者との関係を築くことは生きていく上で必須である。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;それと同時に、他者との関係を築くことは実は「自己と向き合うこと」と表裏一体ではないだろうか。すなわち、自己の中における「心の対話」だ。「自分探し」かもしれない。人間とは何なのか。自分とは一体どんなものなのか。試行錯誤それ自体が生きる目的なのかもしれない。そして、それは究極的には「真理と本質を知ること」に繋がっていく。そのようなことからすれば、生きることとは「真理と本質に近づくこと」といえる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;自己の中には潜在意識という「小宇宙」がある。そして、この「小宇宙」と宇宙は何らかの形で繋がっているのかもしれない。量子物理学の視点からも論じられているとおり、ミクロの世界とマクロの世界とでは共通項が多く存在する。すなわち、ミクロの世界とマクロの世界は繋がっているとさえ感じられる。量子物理学というミクロ世界の探求と宇宙物理学というマクロ世界の探求とでは、実は同じ事を探求しているに過ぎないのではないか。数学を探求すると、例えば原子モデルのエネルギー準位をあらわす数式にたどり着くという。この宇宙の法則つまり「自然の摂理」には、ミクロ世界やマクロ世界のような概念は無いのかもしれない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;宇宙とは物質的な空間のことではなく自然の摂理のことを指し示しているような気がする。人類はこの自然の摂理を法則化しようと努力している。数式や図式などの客観的かつ科学的観点から解明しようと努力しているものの、結局は哲学や宗教などのように人間の意識の存在を考慮しないと説明できないジレンマに陥っている。自然の摂理とは意識などの精神的なエネルギーを考慮した因果律のことかもしれない。この自然の摂理のことを人は「神」と呼ぶこともある。あるいは「宇宙」と呼ぶのかもしれない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;自己の内面と向き合う事は宇宙と接することであろう。すなわち、自然の摂理と接することである。自己と向き合うことによって、自然の摂理に身を置くことができ真理と本質に近づくことができると考えている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://shinyu-kai.net/1-2-6&quot;&gt;（さらに読みたい方は、ここからどうぞ）&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>日本復活の鍵</dc:subject>

<dc:creator>信勇会</dc:creator>
<dc:date>2011-09-17T18:03:23+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://shinyu-kai.cocolog-nifty.com/blog/2011/08/post-5602.html">
<title>「ボケとツッコミ、そしてオネエ系」</title>
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<description>お笑いコンビに見られるボケとツッコミ。ボケは怪しさをかもしだし、ツッコミはそれを...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;お笑いコンビに見られるボケとツッコミ。ボケは怪しさをかもしだし、ツッコミはそれをネタに展開を切り盛りする。料理にたとえればボケが素材で、ツッコミが料理人。何事も素材が良くなければ話にならない。素材あっての料理人。その意味では、ボケが脚光を浴び、ツッコミは裏方的要素が強い。&lt;br /&gt;日本のお笑いは、世界から見ても非常にユニークな存在である。相方の頭をマジで平気にたたく。ボソボソと奇妙に話す。伸びたゴムを相方の顔面にぶつける。途中で間をとる。複雑な仕掛けをセットする。それらは日本独自のお笑い文化といえる。&lt;br /&gt;日本独自のお笑い文化は、子供が真似しやすい、一発ギャグ、などの特徴も見られる。しかし日本では大衆に受けた場合、そのコンビや芸人が疲れ果てるまで何回も何回も同じことをさせ続け、しまいには芸人寿命を縮めてしまう風潮がある。日本のお笑い文化はレベルが高いにもかかわらず、それを支える興行システムが追随していない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ボケは人にかまってもらいたいがゆえに怪しさをかもしだす。それは、幼児性の裏返しであり、日本の男性的要素ともいえる。ゆえに、イザという時に「へなちょこ」に変身する見掛け倒しである。&lt;br /&gt;一方、ツッコミは切り盛りできるしっかり者。イザという時に強さを発揮する日本人女性にたとえることができる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;日本人男性はプライドが高い割には内面的幼児性が強い。一方、日本人女性は世界で見ても最強の裏方であり、しっかり者といえる。そんなしっかり者の日本人女性が、１９７０年代後半から社会進出し始めた。女性が表舞台に徐々に現れてきた。&lt;br /&gt;それに伴って元来、最も地味で平面的顔立ちが特徴の日本人女性は、その顔立ちを変えていくようになる。物理的に変える顔面整形もあるが、多くは化粧技術を駆使して目鼻立ちを良く見せようとする。&lt;br /&gt;そして、日本独自のきめ細かい化粧技術が開花し、世界で類を見ない「顔面塗装文化」を生み出した。「ガングロ」や「美白」などはそのよい例である。また、それをあおるメディアやテレビ番組も生まれた。４０歳や５０歳を超えた女性が「顔面塗装技術」を駆使し、表面的にきれいに見える「美魔女」に変身する。大衆はそれを見ることで、変身願望を強くしていく。今の状況から逃れることのできる夢を、ほんの一時でも味わうことができる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;男性も女性も日本人は、世界で見てもアジアで見ても、胴長で手足が短い。しかし、それをカバーするため日本スポーツ界は接近戦や組織力でカバーし勝利してきた。日本女子サッカーチームがワールドカップで世界一になったのもまさにそれである。&lt;br /&gt;それだからこそ、その分少しでも顔立ちを良く見せようとする「顔面塗装文化」が日本で開花した。化粧を落としたら誰だか分からない、は当たり前。その女性の母親が現れたかと見間違うほどの強力で細やかな化粧技術を有する。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;バブル景気が始まった１９８０年代中頃から特に、日本社会の質が変わっていく。それと共に、男女の晩婚化が顕著になっていく。そのため男女共、特に未婚の中高年にとって異性どうしはもちろんのこと、同性どうしでも本音でつきあいができにくくなる。&lt;br /&gt;そうした社会の隙間を埋めるべく出現してきたのが、男でも女でもない両生類的な人種、すなわち「オネエ系」である。&lt;br /&gt;ホモとは、体も精神も男であるにもかかわらず男を好きになる者。ゲイとは、体は男で精神が女である者。ニューハーフとは、体も精神も女になった男のこと。もともとホモやゲイやニューハーフが社会の変質によって生じた隙間を埋めてくれていたが、社会から認知されず日陰者のイメージがあった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;一方、「オネエ系」とはホモが使う女言葉（オネエ言葉）を駆使する男のことで、同性愛者もいれば異性愛者もいる。そしてポイントは、日本人女性の専売特許である「顔面塗装文化」を取り入れ、女性らしく別人に変身することである。&lt;br /&gt;それと同時に「オネエ系」の場合、オネエ言葉を使うことで毒舌を吐き、説教をし、ストレートな物言いをする。また、偉いとされる方や目上の方にもオネエ言葉でフラットな物言いをする。タメ口をきく。それが「オネエ系」のキャラクターと認知されているため、許されるどころか、逆に相手にとって心地よい響きになる。癒し効果である。そのため、偉い方とも目上の方とも、すぐに打ち解けられるメリットがある。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そのような「オネエ系」の出現は、男の女装化、すなわちボケのツッコミ化といえる。それは、ボケでもありツッコミでもあるという二面性のことだ。日本人女性が生み出した「顔面塗装文化」に対する憧れと、日本の階級社会に対するささやかな抵抗の表れなのかもしれない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「顔面塗装文化」も「オネエ系」も日本独自の文化であり、世界でも先端を行く。まるでガラパゴス化と揶揄される日本の携帯電話に関する「携帯文化」のようである。日本の「携帯文化」も世界的に見て先を行き過ぎたため、ガラパゴス化といわれているだけだ。言い過ぎかもしれないが、どちらも日本が世界的に見て優れている証拠である。&lt;br /&gt;「ボケとツッコミ」、「お笑い」、「アニメ」、「顔面塗装文化」、「携帯文化」、「オネエ系」、それらは切れ味鋭い日本独自の文化であり、全てつながっている。現在の怪しい日本社会を反映する独自の文化、あるいは現象といえるだろう。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>社会風刺</dc:subject>

<dc:creator>信勇会</dc:creator>
<dc:date>2011-08-11T18:24:20+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://shinyu-kai.cocolog-nifty.com/blog/2011/07/post-d94e.html">
<title>「怪しいやつ」</title>
<link>http://shinyu-kai.cocolog-nifty.com/blog/2011/07/post-d94e.html</link>
<description>「病気持ちだと言っておきながら、油が滴り落ちる肉をバクバク食べ、健康のためだとい...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;「病気持ちだと言っておきながら、油が滴り落ちる肉をバクバク食べ、健康のためだといいながら肉と一緒に濃厚な赤ワインをゴクゴク飲むやつ」&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「貧乏は嫌だと言う割には、やってることが貧乏一直線のやつ」&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「今の状況を振り返るたびに修行をしているみたいだと何度も繰り返すやつ」&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「それに対して、死んでもまだ修行だなと言い返すやつ」&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「それを受け、じゃあ、俺は永遠に苦しみ続けなくてはいけないのと半分真顔で妙に納得するやつ」&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「二人きりの時には勇ましいことを言う割には、グループになると全くしゃべらなくなるやつ」&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「”ガンガン”という擬音をやたら使いたがるやつ」&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「車の中がゴミ屋敷になっているやつ」&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「行けないとだけ言えばいいところ、聞いてもいないのに勝手に小難しい病名や怪我の内容を細かく説明しだすやつ」&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「話が長くて何を言っているのか分からない時間的概念を超越したやつ」&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「話を聞いていると眠くなる睡眠薬のようなやつ」&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「結局、何を本業にしているのか分からないやつ」&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「スイッチが入ると、とたんに豹変するやつ」&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「近くに来て一緒にやればいいところ、なぜかしら遠くからこっちをじっと見ているやつ」&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「ちょっとでもスキを見せると、いつもやり込められているせいか、この時とばかりに何度も攻めてくるやつ」&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「攻めているつもりが、いつの間にか毎回、攻められる側に回っているやつ」&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「周囲のことを漫画のようだと笑うが、言っている本人が一番漫画のようなやつ」&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「良かれと思ってやってはいるものの、近道を進もうとするあまり根回しを全くしないため、いつも周りからふくろだたきにあうやつ」&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「迷惑をかけ周囲から問いただされても決して本当のことはいわず嘘を突き通すが、数年後、何かのきっかけで必ずゲロ（白状）するやつ」&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「記憶力は落ちているくせに、なぜかしら人が触れて欲しくないことだけはしっかりと覚えているやつ」&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「都合が悪くなるとメガネを外して見えにくいふりをするやつ」&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「さらに都合が悪くなると遠くを見始めるやつ」&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「自分のことは棚にあげ人のことをとやかく言うため、毎回、人の逆鱗に触れ返り討ちにあう、パブロフの犬のようなやつ」&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「怪しさ満載だけれども、なぜかしら憎めないやつ」&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「怪しさと正直さの二つをあわせ持つ不器用なやつ」&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>社会風刺</dc:subject>

<dc:creator>信勇会</dc:creator>
<dc:date>2011-07-09T20:58:03+09:00</dc:date>
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<title>「星一徹」待望論</title>
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<description>寒い冬の朝、飛雄馬は長屋から日課のランニングに出かけた。 途中、いつも走る道が工...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;寒い冬の朝、飛雄馬は長屋から日課のランニングに出かけた。&lt;br /&gt;途中、いつも走る道が工事中だった。&lt;br /&gt;その道の代わりに、遠回りの道と近道の二つがあった。&lt;br /&gt;飛雄馬は迷ったが、一段と寒い朝だったため思わず近道を選んだ。&lt;br /&gt;しばらく走る。&lt;br /&gt;そして選んだ近道の先には、鬼の形相をした星一徹が仁王立ちしていた。&lt;br /&gt;飛雄馬はその場で、一徹から殴り倒された。&lt;br /&gt;その時、常に一徹から言い聞かされていた言葉が飛雄馬の脳裏をよぎる。&lt;br /&gt;「二つの道のどちらかを選ぶ時には迷わず、困難な道を選べ」と。&lt;br /&gt;にもかかわらず、その時、飛雄馬は易しい道を選んでいた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そのエピソードは飛雄馬が、まだ小学生低学年くらいの時だ。&lt;br /&gt;それを飛雄馬が伴宙太に打ち明けたのは、巨人軍に入団後、大リーグボール１号が一徹・オズマの中日コンビに打ち込まれ、大リーグボール２号の完成を間近にした時だった。&lt;br /&gt;打ち込まれたとはいえ、大リーグボール１号が活躍する可能性は未だ残っていた。&lt;br /&gt;川上監督たちがそう助言するも飛雄馬はそれを拒み、大リーグボール２号の開発という困難な道を選んだ。&lt;br /&gt;その背景には、いまや敵対する父一徹ではあるが、幼い頃から一徹に叩き込まれた言葉があったからだと打ち明けたのである。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そんな飛雄馬だが、そもそも大リーグボール１号を開発した時、強靭な精神力が背景として存在した。&lt;br /&gt;物心ついた時から、伝統ある巨人軍の輝く明星を目指し、一徹と共に厳しい道を歩んできた。&lt;br /&gt;にもかかわらず、巨人軍入団後、自分自身の欠点に気がついた。&lt;br /&gt;どんなに直そうとしても、直すことのできない投手として致命的な欠陥。&lt;br /&gt;それは、速いがボールが軽いという欠陥だ。&lt;br /&gt;それではボールの軌道にバットを合わせるだけで、ボールが勝手に遠くまで飛んでいく。&lt;br /&gt;飛雄馬は、もはやこれまでかと自暴自棄になる。&lt;br /&gt;そして、たどり着いた先が禅寺であった。&lt;br /&gt;何日も座禅しては、和尚に何度となく警策で肩をたたかれた。&lt;br /&gt;たたかれれば、たたかれるほど、体はたたかれまいとして緊張する。&lt;br /&gt;そのため余計に、たたかれる。&lt;br /&gt;それを和尚から教えられた。&lt;br /&gt;さらに、「たたかれまいとするのではない。逆に一歩前に出て、たたいてもらおうとするのだ」と指導された。&lt;br /&gt;その後、座禅中、飛雄馬は全くたたかれない。&lt;br /&gt;その時、飛雄馬は大リーグボール１号のヒントを見出す。&lt;br /&gt;今まで打者からボールをたたかれまいと暗中模索していたが、実は逆の発想をすればよいことに気がつく。&lt;br /&gt;それは今までの野球常識を覆し、打者のバットにボールを当て、フライにして打ちとるというものだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「巨人の星」のストーリーは現実の野球ではありえない話である。&lt;br /&gt;しかし、飛雄馬や周囲に対する父一徹の姿勢は、今の世の中には必要だ。&lt;br /&gt;それはまさに「急がば回れ」の精神である。&lt;br /&gt;目先の損得に踊らされることではない。&lt;br /&gt;中長期の視点で物事を見て、粘り強く対処することだ。&lt;br /&gt;本当の優しさとは人に対して、優しい言葉や行動に終始することではない。&lt;br /&gt;困っているから、大変だからといって、猫なで声をかけたり、腫れ物に触るように接したりすることではない。&lt;br /&gt;時には一徹のように、さらに強靭にするため我が子の前に立ちはだかり、立ち向かう姿勢も必要だ。&lt;br /&gt;長い目で見れば結果的に、それが周囲のため、自分自身のためになる。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>社会風刺</dc:subject>

<dc:creator>信勇会</dc:creator>
<dc:date>2011-06-25T19:43:18+09:00</dc:date>
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